みっちゃん介護日記

2016年91歳になり。要介護1。大正生まれのみっちゃんとの悪戦苦闘な毎日。→2016年6月2日に91歳の誕生日をを待たず、あっという間に亡くなりました。亡くなった後は私の心と悪戦苦闘な毎日です。

2018年11月

あっけなく医者の予想は当たる

今朝、兄の入院先の病院から電話がありました。

今朝兄の死亡確認がとられました。

今年いっぱいどころか私が手伝いを最初に行ってから2週間でした。

あっけない。本当にあっけない。医者の余命予想を覆すことも無く

兄は旅立っていきました。

今頃父が迎えにいっているのでしょうか。

私も思った以上に平気です。

でも今日くらいは思い出していてあげようと思いましたが

やっぱり何もいい思い出がありません。

複雑な心境です。

お線香くらいは仏壇に焚いてあげようと思います。

合掌

今年いっぱいなんてとんでもない

兄が余命宣告され、最後くらい何か手伝えればと最近2~3回病院へ行って

用事を済ませているが、先日の日曜日も長い入院で家賃を払っていないからと

大家さんに払いに行ってきた。お数日前には大部屋でベッドに座って

話し方もはっきりしていたがその日はすでに個室へ移り昼食中、もう食べたいものだけ食べていいと

言われたとかでフラフラしながら食事していた。

看護士さんから

前に倒れるかもしれないから支えてあげてください

と言われるほど衰弱し、声も弱々しく数日前の兄とは別人だった。

通帳、伝言を預かり用事を済ませ病院へ帰ると今度はベッドに横になり酸素マスクを

つけてうつらうつらしていた。


長居をすると情が移るのが嫌なのでかわいそうだけれどじゃあねと言って

握手をして病室を出た。


返ろうとすると一人の看護士さんから声をかけられちょっとカンファレンスいいですかと。

時間には余裕があったので別室へ。

今年いっぱいと聞いたのですが

いえいえとんでもないもうそこまではとても持たないと思います。

今は苦痛を和らげるためにぼーっとするお薬を投薬しています。

この薬が強くなると呼吸が止まることもあります。ご本人も承諾しています。

それにおしっこももう出ていません。


ではここ数日と言うことですね。

そうですね。そう思っていただいていいと思います。

もしもの時はどうされますか?


生きているのか死んでしまったのか知らないのが一番困るので

亡くなった時には連絡ください。

しかし、本人の意向でなくなった後のことは何もできませんし、するつもりもありません。


了解しました。ご本人様からも万が一の時には同じことをしてくれと聞いています。

そうですか、冷たいようですが色々事情がありまして申し訳ありませんが

宜しくお願いします。


と会話をし、私の携帯番号を教えて帰って来た。

それから今日で3日目。まだ電話がないがこの嫌なものを待ってる感じは父や

みっちゃんが亡くなった時と同じ。何とも表現しがたい嫌な感じです。

数日前にはメールが打てた兄ももうメールすら打てません。

読んでくれるかどうかもわかりませんが今は毎朝、『おはよう』とメールを送っています。

このまま何もしてあげなかったら私は後悔するのでしょうか?

突然の出来事が多くまだ頭の整理ができていません。

いまはお仏壇に

一日でも長く頑張れますように

とお願いすることしかできません。

兄の余命宣告

先日記した複雑な関係の兄。

みっちゃんと折り合いが悪かった・・・というか家族にこれまで

散々迷惑をかけてきた兄。

この間は兄は心臓が悪くとうとうペースメーカーを

入れる手術をしたことを記した。

その兄からまたメールがあった。

医者に聞いたらもうダメみたいだ。今年いっぱいらしい。

好きなことやっていいと言われたので覚悟した。

今まで〇〇(私の名前)ありがとう。迷惑ばかりかけてごめん。


という内容だった。

今まで憎しみしかなかった兄だが血縁者が逝ってしまうのは

やっぱりつらい。

結婚もせず心臓悪くしてペースメーカーも聞かず最後は一人で

逝く。

兄の人生はいったいなんだったのだろう。

本当の友人はいないであろうと思われ両親は他界し

鏡台からは見放され・・・・

あまり考えると情の厚い私は何かしてあげたいと

思ってしまいそうなので考えるのをやめた。

今までの憎しみはメールでちょっとくらい謝られたって消えない。

みっちゃんも散々泣かされてきた。それを見ながら育った私。

兄が死んだら私の中の大きな歴史が一つ幕を閉じる。


そう思いながらまた来週兄の用事を頼まれた。

結局突き放して知らん顔できない私。バカみたい。

久しぶりに会った兄は父にそっくりだった

先日私の携帯に電話がありました。

数年会っていない18歳年上の兄(異母兄弟)からでした。

我が家は色々な事情から兄とは子供のころから一緒に住んだことは無く

みっちゃんとの折り合いもよくなかったため疎遠でした。

私も兄弟愛なんてもの微塵もなく、子供のころから煙たい存在で

可愛がってもらったことも無く嫌な思いをさせられてばかりでした。

しかし、父だけは実の息子だということで死ぬ間際まで兄のことを心配し

連絡を取り合い、認知症が進んだり、透析をしなくてはいけなくなった頃

面倒を見るのは私なんだからもうほっといてくれと兄に三下り半を突きつけた私でした。

そんな兄は以前から心臓が悪くこのたびペースメーカーを入れる手術をするとメールで連絡あり。

あっそ。。。ってなくらいでしたがその手術後、電話があったのです。

お金をおろしてきてくれないか。

あと、アパートの郵便物を全部持ってきてくれ。とのこと。

はぁ???って思いましたが病人をむげにするのはさすがに気が引けて

迷惑だと思いつつ今日、原付バイクで片道25Km、往復50Kmを走って行ってきました。

病室を除くと父そっくりの兄がベッドに座っていました。

悪いな。助かるよ。

これと、これはこうして・・・・・

お父さん、そっくりになったね。

いいのか悪いのかな。

いいんじゃないの?親子なんだから。

数年ぶりにあったとは思えないほど乾いた会話を交わすと用を済ませて

さっさと帰路に。

帰り際

ありがとう。気を付けて帰れよ。

うん。

がぞリン代すらくれないし、ありがとうの言葉は心がこもっていない。

これを機にまた頼もうとか思わないでねと喉まで言葉が出かかりましたが

さすがに病人には言えませんでした。

午後から仕事に行った私はクタクタです。疲れました。
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